洛中閑居
今日は東へ、明日は西へ、 気の向くままにぶらぶらと、思いつくまま彷徨える 洛中閑居はそんな気ままな写真日記です
フラッシュ クロック 「幻の庭。鬼灯」

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2007年のさくら
【車折神社のさくら】
車折神社の桜2007

毎年早々に咲き始める、早咲きのさくら。
いつものように。
かわることなく。
淡々と。
春を告げる。



車折神社のさくら20072

同じく、車折神社の桜と梅と競い咲き。
白とピンクが前に後ろにと春色を競う。




【車折神社のしだれ梅】
車折神社のしだれうめ2007

桜の季節になってもしぶとく、もとえ、美しく咲き続けるしだれ梅。
その可憐さに敬意を表して。





【宇多野の椿寒桜】
宇多野の椿寒桜1

これもまた、早く咲くさくら。
ここが宇多野の病院の駐車場、とは思えない桜の並木が一斉に花開く。
目ざといメジロがさっそく蜜を求めてやってくる。


宇多野の椿寒桜2

人がいようがいまいが…目白にはあまり関係ないようです。


【大石神社のさくら】
大石神社の桜

山科区・大石神社

ここも立派なしだれさくらで、見越しの松、ならぬ"見越しの桜"となっています。

大石が誰かって?
京都で山科で大石、といえば、赤穂浪士の大石内蔵助に決まりでしょう。



【二条城の桜・夜景】
二条城


厳密には二条城を背景にした、堀川通りの街路樹であるところの桜の木、であるけれど。
毎年毎年桜並木に花が咲いて、通勤通学の地元民の目を楽しませてくれる貴重な桜なのです。


【地蔵院のさくら】
地蔵院のさくら1

京都府綴喜郡井手町・地蔵院

とーっても遠いです。
JR奈良線に乗って、そこそこ掛かります(だいたい奈良線は本数が少ない)
駅を降りてからお寺まで、えっちらおっちら歩きます。
まず川の土手を。
田畑の中を。
住宅地を過ぎて坂を上がって…。
はぁ、疲れる。

でも、それだけに桜の下のベンチに落ち着いて眺める市街の眺望は最高です。

そして!
ここの枝垂れ桜は、京都市・東山区の円山公園にある枝垂れ桜(最近めっきり年をとったねぇ)の伯母さんだか従弟だか…とにかく、血縁だそうで、そう言わればそこはかとなく優雅さも…?(笑)

地蔵院の桜と桃

地蔵院から市街を眺めると…畑に桃の花が…。
いいですよねぇ。
桃。
私はこの花も好きです。
残念ながら関西にはここといって桃の名所がありません。
和歌山の桃ぐらいかな?
甲府とか岡山のような(どちらも見たことがないけど)、壮大な桃の園…いやいや、どうせなら"桃源郷"を見てみたい!
そう思います。



【松ヶ崎大黒天のさくら】
松ヶ崎大黒天のさくら2007

左京区・松ヶ崎大黒天

実は…観光ではなく法要で、行ってきました。
京都のはしっこの、山の中のお寺です。

桜がまだ、残っていました。



【常照皇寺の九重さくら】
2007常照皇寺の九重桜

最後はこの桜で。

北のお山の向こうの里、その山寺の境内で咲く枝垂れ桜は、なんと"天然記念物"です。
京都市内中心部に比べると、気温がぐんと下がるので、桜の開花は半月ばかり遅れます。
よって、市内の桜を見つくしたら、最後はここで締める、というのが恒例。
ただ、最近は桜の開花が早くなって…残念至極。


【仁和寺のさくら】
仁和寺1


ここの桜は遅い。
遅くて、花(鼻)が低い、不細工な女の代名詞(隠語)として使われてきました。
今ではファンも多くて、けっして不細工でもてないわけではなさそうですが。

仁和寺2


仁和寺の桜が終わるころは、吹く風も暖かく、初夏の香りを運んできます。
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京都十六社巡り ~今宮神社~
16社 今宮


京都十六社のなかでも有名な一神社。
それがこの今宮神社。
なにが有名って…東に隣接するふたつの「あぶり餅や」が有名で、最近ではバスで乗りつける観光客もいる。

別名紫神社。
というのは、この場所が紫野今宮町だからか。

祭神:大国主命・事代主命(ことしろぬし)
摂社疫神社にはスサノオノミコトが祀られている。
平安時代の初め、疫病を祓う為にこの地に祭られたのが始まり。
正暦5(994)年に疫病の流行った時、朝廷はみこしを二基つくり、鮒岡山に疫神を祀って御霊会をおこない、難波の海にこれを流した。
長保3(1001)年の疫病流行時には勅使をつかわして東遊・走馬などをして奉納し、一貫して疫病退散の神と祀られてきた。

春に行われる"やすらい祭り"は、疫神を鎮める鎮花祭で、太秦の牛祭、鞍馬の火祭りとともに、京都の三大奇祭と言われている。

隣接する炙り餅屋のあぶりもちは…これを食べれば疫神が祓える、といわれている。

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京都十六社巡り ~わら天神宮~
16社2


京都十六社巡り『わら天神宮』

御祭神:木花開耶姫命(このはなさくやのひめのみこと)
御利益:安産お守り。

古くは北山の神様として、大古山背国葛野郡衣笠村に降臨された天神地祇で、古くから人々の信仰を集める。
天長8年にこの地に氷室が設けられ、その夫役が加賀の国から移住、その地で崇拝していた菅生石部神の分霊を祀って祭神を菅生石部神の母・木花開耶姫命と定めた。
応永4年、足利義満が西園寺北山殿を山荘として造営するにあたって、参拝に不便になり、両者を合祀し現在地に移転した。

お守りには「わら」があり、そのわらに節があれば男児、なければ女児を授かると言われる。
妊娠9ヶ月9日の日は、授乳祈祷の「甘酒」授与がある。

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京都十六社巡り ~春日神社~
春日大社


春日神社と言うぐらいだから、鹿が神様か?と思ったのだが。
病気平癒・厄除け・交通安全の神様であり、御祭神は健御賀豆智命(たけかづちのみこと:武神)・伊波比主命(いわいぬしのみこと:武神)・天児屋根命(あめのこやねのみこと:学問の神)・比売神(ひめがみ:その妃)である。

天長10(833)年、2月28日。
淳和天皇が仁明天皇に譲位したさい、ここに移って淳和院を営んだ。
その折にならの春日大社から分霊を迎え、守護神として祭った…のが始まりである。
その娘、祟子内親王が疱瘡にかかった時、その身に疱瘡を生じさせ、内親王の病を治した(つまりかたがわりした)霊石を病気平癒の石として祭っている。
現在も、勿論、存在する。
ただし、毎月の月例祭の時に本殿で公開されるのみ。(当たり前か…)

私たちが訪れた時、ちょうど、お百度を踏む若者がいた。
誰かの病気平癒を祈っているのだろうか……。



さて、この春日大社は、その中に、野々宮神社が存在する。

御祭神:倭姫命(やまとひめのみこと)・布施内親王
ご利益:心願成就と女人の守護(まあ祭神が祭神ですし)

御祭神はともに伊勢神宮に斎王として使えた実在の人物で、倭姫命は垂仁天皇の皇女、布施内親王は桓武天皇の皇女である。
ここは、伊勢へ向かう斎王が、旅立ちの前に身を清める為の潔斎所であったという。
嵯峨野にある野々宮神社も同じ。これは紫式部の源氏物語にも出てくるから改めて説明するまでもない。
その「野々宮」の名が、潔斎所の名称であり、野々宮(野宮)の発祥はこの地から始まった、とされている。



なかなか格式高い神社で、売店で応対に出てくれた若い巫女さんもなかなかしっかりした威厳のある方であった。

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京都十六社巡り ~豊国神社~
16社5


豊国神社といえば、豊太閤。
豊臣秀吉所縁の神社である。慶長2(1598)年8月18日に没し京都東山の阿弥陀ケ峰に埋葬された秀吉公のため、権現造りで雄大な社殿が造営された。
後陽成天皇により「豊国大明神」の神号を与えられ、一時は壮大な構えをほこったものである。
…が、歴史に見るとおり、豊臣滅亡後は徳川家によって廃絶され、社殿は朽ちるに任せられた。(悲惨)
明治6年、別格官弊社に列せられ、明治13年方広寺大仏殿跡地に復興される。
神社正面の伏見城大唐門は国宝。


京都市東山区大和大路正面

…だけど、地名でたずねなくてもすぐわかる。
東山七条の、京都国立博物館の北隣である。


ほとんど夕刻だったので、西向きの本殿は朱に染まりつつある。
そして、太閤さん、といえばおなじみの、千成瓢箪が。

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京都十六社巡り ~新熊野(いまくまの)神社~
16社7


新熊野(いまくまの)神社。


御祭神は、
伊邪那美命(イザナミノミコト)ほか12社。

熊野信仰は平安時代には、もうかなりの流行になっていた。
源氏物語を紐解く必要もなく、何かあれば熊野詣でと称して旅立つ貴族達。
それだけに現世の辛さ、哀しさが今の我々以上に重くのしかかっていたのかもしれない。
1160年、後白河上皇が熊野の新宮、新熊野神社を造成。
那智の浜の青白の小石を撒いたと言うほどの力の入れようである。

社頭の大樟(くすのき)は熊野より移植されたものでなんと上皇のお手植えと伝えられている。
樹齢は900年。
健康長寿・病魔退散特にお腹の神様と信じられている。

1374年、観阿弥・世阿弥が足利義満の前で「新熊野神事猿楽」の演能をおこなう。

幾度となく兵火に焼かれるが、江戸時代に聖護院道寛親王によって再建される。
本殿は京都市の重要文化財となっている。


さして大きな神社ではないが、風格はあり。
東山通りに面して便利もいいので参拝しやすい。

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